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ご祭神・御由緒

ご祭神・ご由緒について

大宮氷川神社より御分霊を戴いて、当地に奉祀したのに始まる

中野沼袋氷川神社の御祭神は、八岐大蛇(やまたのおろち)退治の神話に出てくる主人公の須佐之男命(すさのおのみこと)です。

南北朝時代、人皇97代後村上天皇の正平元年(光明天皇の貞和二年)に、武蔵国一の宮である大宮(現在の埼玉県さいたま市)鎮座氷川神社より御分霊を戴いて、当地に奉祀したのに始まると伝えられています。

境内内の写真

厄除けのご利益があることで知られる須佐之男命

須佐之男命(すさのおのみこと)は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)・伊邪那美命(いざなみのみこと)の御子で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)(伊勢神宮の内宮におまつりしています)の弟君に当たり、特に勇壮な性格の持ち主で武勇にすぐれ、心も非常に広く、気丈な神様でした。

ただ一人出雲の国(島根県)にお降りになり、この地方を荒す強大な賊を平定させ、須賀という場所に宮殿を立て櫛稲田姫(くしなだひめ)をお妃にお迎えになりました。そして付近の国々の住民に農耕・狩猟・植林の方法を教え、土地の開発に力を注ぎ大いに国造りに貢献されました。 一面、文学の道にもすぐれ、

八雲たつ出雲八重垣妻籠(いずもやえがきつまご)みに 八重垣つくるその八重垣を

の歌をつくられ、我が国の和歌の始祖と仰がれている様に、文武両道に卓越した神様でした。

日本は古来から豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)と呼ばれてきましたが、それは水田耕作を主要生業としていたからであり、田の神、水の神の信仰が非常に重く見られていました。

須佐之男命が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したのも田をおびやかす種々の災害(暴風雨・洪水・その他の天変地異)から耕作物を守る為であり、稲田の宮主を立て、櫛稲田姫を妻とされた事、またその子孫に田の神・水の神が多く存在している事など、いずれも農業の守護神たる性格が非常に強く見受けられます。

人間が日常生活を営む上で、もう一つ大きな障害となるものに病気がありますが、古代これの退散・消除を願うのに、神様の中でも最も威光が強く、雄々しい性格の持ち主である須佐之男命にその信仰を求めたのは当然の成り行きでした。

すなわち、人間生活に必要な五穀豊穣の祈願と、生を受けた者の宿命である病気から自分たちの安全を祈る事の、この二つの身近で素朴な願いが、須佐之男命信仰に結びつき、全国に広まったゆえんなのです。

従前の農耕産業から、近代産業へと転換した今日においても、この須佐之男命信仰がなお拡大し重視され、あらゆる産業の守り神、様々な厄難・悩み・不幸から身を守って下さる厄除(災難除)の神様、また和歌の始祖であるところから学問の神様として、我々子孫の繁栄を見守って下さっております。

私達の祖国日本は、この様に子孫は祖先の限りない大きなお力を渇仰し、祖先は子孫の繁栄を願望し、その間には、美しい心と心のつながりをもって結ばれている国柄です。

子から父母、父母から祖父母と祖先を順次たどっていきますと、我々日本人は血のつながりとして全国に祀られている神様のどなたかに、その頂点を仰ぐ事ができるわけです。

私達の日常すべての生活が、祖先(神様)のおはからいのまにまに過ごさせて頂いている事を感謝し、平和で楽しい社会と家庭づくりを「神様への誓い」として精進したいものです。

三本願い松について

幸せを呼ぶ 三本願い松

古来より

「悪しきことはスギ去れ、願い叶うをマツ」と杉の木に願いを掛けて、不運・災難から逃れ松の木に幸福を願うと、必ず叶うと信じられて来ました。

豊かな森がいつも身近にあった我々日本人には自然の恩恵や営み、特に木に宿る魂に対する謙虚な姿勢がありました。

「三本願い松」に思いを託し、大神さまのお陰を戴き、健康で豊かな日々をお過ごし下さいますよう祈念申し上げます。

三盆願い松の写真

道灌杉について

太田道灌が戦勝を祈願して社頭に献植

文明9年(1477)4月、太田道灌が豊島一族と合戦した際、当社に本陣を布き、戦勝を祈願して社頭に杉一本を献植。後年、道灌杉と呼ばれ天を圧しそびえておりましたが昭和17年に惜しくも枯れてしまいました。

惜しくも枯れてしまった道灌杉の写真
現在の道灌杉跡

▲ 現在の道灌杉跡

沿革

正保年間(1644-48)

代官野村彦太夫社殿を修築

文久4年(1864)

石鳥居建立

明治13年(1880)

社殿改築

大正11年(1922)

弊殿増築

大正15年(1926)

社務所新築

昭和15年(1940)

皇紀2600年記念として表参道に石大鳥居建立

昭和30年(1955)

神楽殿改築

昭和37年(1962)

手水舎新築

昭和42年(1967)

建国記念日制定記念として裏参道に石大鳥居を建立

昭和43年(1968)

明治百年記念事業として玉垣・社号標の設置

昭和50年(1975)

昭和天皇御即位50年記念事業として社務所を改築

昭和57年(1982)

境内末社、天王社を改築

昭和63年(1988)

昭和天皇御即位60年記念事業として昭和社殿を御造営

平成2年(1990)3月19日

上記昭和社殿を僅か1年と数ヵ月後、中核派と称する過激派集団により焼失

平成3年(1991)8月

平成社殿を御造営(現社殿)

平成11年(1999)

天皇陛下御即位10周年記念事業として表参道に灯籠1対建設

平成21年(2009)8月

天皇陛下御即位20年並びに天皇皇后両陛下御成婚50年記念として七福神を奉斎

平成23年(2011)3月11日

東日本大震災により裏参道大鳥居が倒壊

平成24年(2012)

大鳥居再建、境内耐震・整備事業として裏参道の大鳥居を再建立、 境内擁壁の改修、参拝者駐車場の整備

令和元年(2019)

天皇陛下御大典奉祝記念事業として神楽殿と手水舎を改修

このように、当社の沿革を振り返ってみますと、時代時代の人達が如何に氏神さまを尊び、ひたすら真心をもって 奉仕し、神社を中心に強い意志で結合し、氏神さまをこの上なく大切にしてきたかを窺い知ることができます。

その祖先の残した遺産を”立派で美しい”姿として末永く後世に伝えたいものです。

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